カトリック教会の信者たちは、8月に入ると聖母の被昇天の祭日を祝うことを考えています。大阪高松大司教区には被昇天の聖母と呼ばれる小教区「教会」がいくつもあります。阿倍野教会、貝塚教会、佐用教会、宝塚教会、垂水教会、桜町教会という小教区は被昇天の聖母教会と名付けられています。信徒たちはこれらの小教区がある教会名を知ってはいますが、名付けられている守護聖人の名前までは覚えていないようです。「聖母の被昇天」に対して正しく知ることができなくても、習慣的に聖母被昇天の日にはミサに与りたいと考えているのかもしれません。では、聖母の被昇天という祭日にわたしたちは何を祝っているのでしょう。
聖母の被昇天というのは『聖マリアが亡くなられた後、霊魂と肉体とともに天の栄光に上げられたという教理を指しています』。昔、8月15日は『聖母マリアが亡くなった日として記念されていました』が、74年前からちょっと意味が変わってきました。『1950年にピオ十二世教皇は、聖母マリアが体も腐敗することなく、天の栄光を受けていることを「カトリック教会の教え」として決めました』。
2024年8月号の「毎日のミサ」にこの祭日の説明が書かれています。「五世紀のエルサレムで8月15日に祝われていた神の母マリアの記念は、六世紀には、マリアの死去の日として東方教会で祝われるようになった。七世紀半ばに西方教会にも受け継がれ、マリアの被昇天の名で知られるようになったのは、八世紀になってからである。1950年にピオ十二世教皇は、マリアが霊肉とともに天に上げられたことを教義として宣言した。教会は、キリストと最も深く結ばれていたマリアが、真っ先にキリストの復活と栄光にあずかっていることを祝っている。」
この被昇天という言葉の意味は、取り違えることがないように注意しなければなりません。『同じ天に上げられたという出来事でも、キリストの場合は「昇天」、聖母マリアの場合は「被昇天」と言われています。このように違った表現が用いられるのは、神の御子であるキリストが、自ら天に昇ることがおできになる方であるのに対して、人間であるマリアは自ら天に昇るのでなく、キリストによって天に上げられたという理解に基づいています。』
聖母の被昇天と日本の教会の間には深い絆があります。聖母の被昇天は日本の教会の保護者となっています。何故ならば、『8月15日、聖母の被昇天という日は、日本カトリック教会にとって特別な意味を持っています。いくつもの重要な出来事がこの日に起こっているのを見ると、驚きを禁じ得ません。まず、第一に聖フランシスコ.ザビエルが鹿児島に上陸したのが、1549年の8月15日。この日初めて、日本の地にキリストの教えが伝えられることになりました。この日が聖母の被昇天の祭日であったので、ザビエルは日本を聖母マリアにおささげし、そのご保護を祈りました。そのため聖母マリアは、日本の教会の保護者とされています。また、その後の長い迫害時代、二百余年に及ぶ鎖国時代を経て、日米修好通商条約調印によって、再び宣教師の上陸が許されたのも1859年の8月15日のことでした。この出来事をきっかけとして、日本の教会の再宣教が進み、1873年(明治六年)にはついに禁教令が解かれ、259年間続いたキリシタン禁制が、その効力を失うことになりました。さらに太平洋戦争の終結で、私たちが真の自由を得たのも1945年の8月15日、聖母の被昇天の祭日でした。』
8月15日聖母の被昇天の祭日は日本の教会における守るべき祝日ではありませんし、ミサに与ることを義務付けられていません。しかし日本以外に眼を向けると、ポーランド、クロアチア、イタリア、南米、フィリピン、アフリカでは聖母の被昇天の祭日を守るべき祝日としており、平日ではなく8月15日に近い日曜日に祝われています。私たちの信仰の模範となる聖母マリアを大切にしたいと考える信徒が多いということだと思います。日本では守るべき祝日と定められていませんが、私たちの信仰にとって大切な日であることを認識し、姫路教会や佐用教会では聖母の被昇天のごミサをささげます。佐用教会の15日のごミサは午前10時、姫路教会では夕方19時になります。聖母マリアの信仰に倣って、被昇天のごミサに与りましょう。