カトリック姫路教会のウェブサイト

Fr.Johnny Speaks...

☎079-222-0043

カトリック姫路教会にメールを送る

February 2025

聖年に当たる2025年の四旬節

ジョニー・トンバ・ディパ神父

来月の3月5日は灰の水曜日です。この日から四旬節に入ります。四旬節とは、復活祭の準備期間で、復活祭をふさわしく迎えるために、祈りと施しと断食という習慣を守ります。信者として祈りは毎日行いますが、施しは各々の分や都合に応じて行います。そして、灰の水曜日と聖金曜日には断食を行うこととなっています。断食は大斎と小斎とに区別されています。大斎は、1日に1回だけの十分な食事と、そのほかに、朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満18歳以上満60歳未満の信者が守ります。小斎は、肉類を食べないことですが、各自の判断で償いの他の形式、特に愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守ります。どちらも、病気や妊娠などの理由がある人は免除されます。大斎と小斎を守る日は灰の水曜日と聖金曜日、小斎を守る日は祭日を除く毎金曜日です。これは毎年毎回変わりありません。原則はずっとこの通りです。

しかし、この習慣を守っている信者はそれほど多くないかもしれません。この習慣を守れないのは四旬節の決まりそのものに問題があるというわけではありません。信者が実践しないことにあるはずです。信者の平均年齢を考えると、大斎を免除される方が多いようですが、満14歳以上の大斎小斎を守るべき若い信者を見ても、大斎も実践せず、小斎の日であっても美味しい肉を控えることのできない信者が多いようです。

それは、彼らにとって模範となる先輩がいないからでしょう。四旬節の意味を理解せず、漫然と四旬節を過ごしているようにも思えます。若い信者は先輩たちから信仰のあり方を学び取っています。四旬節をどのように過ごしたらよいのか、そして、どうやって四旬節の務めを守るのか、それを先輩の信者が実践し、親は信仰を見守らなければなりません。それでも様々な理由で四旬節の務めを守れない信者も多いとは思いますが、そんな信者にとって、今年訪れる聖年は自身の信仰を示す大きなチャンスとなっています。

色んな小教区では、特に教区司教が指定した巡礼教会聖年を知らせ、それに呼びかけている旗『幟』が既に立てられています。今年の四旬節の間に、何よりもまずこの幟に関心を寄せましょう。併せて、聖年の意味を深めるように努めましょう。2025年発行のカトリック教会情報ハンドブックには、『希望の聖年と教会一致の夢』増田健(クラレチアン宣教会)が書いた特集記事があります。この記事を読めば、聖年の歴史、意味、信者の努め、そしてその目的が分かります。この特集による、聖年とは『共に歩む』ことです。「カトリック教会における聖年の歴史は、1300年の教皇ボニファツィオ8世によるサンピエトロ大聖堂巡礼への呼びかけから始まります。当時のヨーロッパでは同じキリスト者でありながら諸侯たちが様々な理由で対立していましたが、「旅は道連れ世は情け」と言うように、巡礼の旅はキリスト者が一つの信仰のうちに同じ目的地に向かって歩む仲間だということを思い出す機会となりました。ところで、教会は「旅する神の民」、すなわち、神の国の完成に向かって歴史の中で歩む信仰者たちの共同体であると言われます。このような意味で、聖年の巡礼はただの観光旅行ではなく、すべてのキリスト者が同じ信仰の道のりを歩む家族であるということを喜ぶための恵みであると言えるでしょう」(カトリック教会情報ハンドブック、8頁)。

キリスト者たちの目的は一致であることが強調されています。そして、その一致は回心から始まるのです。この回心は四旬節の呼びかけでもあります。このように、四旬節と聖年を切り離すことはできないと言えるでしょう。

聖年は、古来の伝統に従って教皇が25年ごとに宣言します。今回の聖年の中心となるメッセージは希望です。すべての人にとって聖年が、救いの「門」であるイエスとの、生き生きした個人的な出会いの時になりますように。(2025年通常聖年.希望の巡礼者.巡礼手帳、4頁参照)。聖年は恵みの年です。この一年間、免償という恵みを頂くことができます。恵みを頂くためには次の事柄を実践する必要があります。『教区司教が指定した巡礼所を訪れた際には、そこで適切な時間、聖体拝領と黙想を行い、終わりに主の祈り、信仰宣言、神の母マリアへの祈願を唱えます』(同上、7頁)。

大阪高松大司教区では、この聖年は2024年12月29日から始まり2025年12月28日まで続けられます。巡礼手帳は教会の出入口に置いてあります。その中には巡礼指定教会「姫路地区の場合、姫路教会をはじめ、加古川教会と相生教会も巡礼指定教会となっています」が示されていますので自分の都合や体力に応じて、また四旬節の精神に寄せて、聖年の恵みを味わうために、個人としても共同体としても、教区内の巡礼へ旅立ちましょう。一人ひとりにとって、希望と数々の恵みに満ちた聖年になりますように。■